ご乗車の方はお急ぎ下さい!
 

このブログは、摂理の信仰世界を、世の中の事象を通して少しでも分かりやすく伝えられたらと思って書いています。しかしイエス様の再臨が伝えられて以降、世の中とは比べるも愚かなほどに、どんどん深化する摂理の世界。「絵にも描けない」竜宮城ではないですが、どうにも文字では表現しようがない信仰の次元であり、歴史であります。

 

男女の間にたとえれば、付き合いだした頃は、他の異性と比較しながら、「あの人の良いところは・・」、「あの人と比べてこの人は・・」と色々考えていたようなものでしょうか。しかし、相手の愛に没頭してしまえば、もはや人様の評などは無意味になるのと同じことであります。

 

ということで最近更新が滞りがちな訳ですが・・・今さら私の文才のレベルを嘆いても仕方ないので、できる範囲で書いていきます。

 

今の摂理の状況を一言で言えば。列車が出発前にピリピリピリピリと警報が鳴り、「ドアが閉まります」とアナウンスされている状態と言えますでしょうか。

摂理がキリスト教の新しい福音を述べ伝えて既に33年。もうひとまずの一区切りが成されようとしています。あれだけたくさんの人へ伝道活動を行い、また人々が群がってきた訳ですが・・・残念ながら先生のことは、世間一般の人に誤解され、受け入れてはもらえませんでした。

 

もちろん伝道は続けますが、「ひとまず出発しますので、今乗る方はお急ぎ下さい」という状況なのです。でも残念ながら今の状況をご理解願えない人は、後日の機会にということになります。でも今回乗れなかった人たちのためにも、私たちは出発せねばなりません。

 

そう、ちょうどアニメの銀河鉄道999のように・・・「永遠の命」を得るため、はるかな神様の世界の存在を信じ、信仰のパスをGETして摂理の列車に乗りました。今まで数々の日々を重ね、そして残念ながら途中下車する人もいました。それでも摂理は多くの人に乗車を勧めつつ、また不幸にも下車した人、乗る機会に恵まれなかった人のためには祈ってあげて・・・ついに終着駅への最後の乗車となったのです。今の導き手はメーテルならぬJOEUNさん、すなわち先生ではありますが(笑)。

 

そしてアニメのように、終着駅は悪い所ではありません。真にイエス様が待っておられる天国です。そして結末は限りある命と永遠の命との相容れない反目ではなく、肉体あってこそ永遠な命があるという相理共生の理想の喜びがあります。

 

こう書くと摂理が何か企んでいるのかと、わからない皆様には不安に思われる方もいるかも知れません。しかしご安心下さい、「その国はこの世のものではございません」ので。

 

アニメでは話が軽くなってしまうので、もうひとつ別のたとえを。


福沢諭吉は最初、海外を知るのに必須だったオランダ語を習得しました。しかし時代は既に英語だったのです。ショックを受けた諭吉は、子供にまで教えを請いながら英語を勉強しました。そして学び終えた頃、幕府が使節をアメリカに使わすと聞き、喜び勇んで志願しました。危険も多い航海に好んで行く人はほとんどいなかったのです。

変人扱いされましたが、先進国のアメリカを見る機会を得ました。そして家内制手工業の日本に比べ、ベルトコンベアの大産業を見た諭吉は、あまりの次元の違いに涙します。しかしその進んだビジョンを日本に紹介することが諭吉の使命となりました。

 

アメリカがそんなに良い国か、というご意見もあるでしょうが、それは置いておいて・・・(笑)

 

今の私たちも、最初は聖書が世界のベストセラーだとか聞いて、学び始めました。しかしすでに時代は新約(オランダ語)ではなく、成約時代の到来(英語)だと知ることになったのです。そして今まで学びつつ、成約の世界に想いを馳せてきましたが・・ついに成約行きの咸臨丸に乗る機会が到来したのです。そしてその出航が間際に迫り汽笛の鳴る中、一緒に乗りたいという人を急いで手招きしているところなのです。

 

(でも、明治維新の群像を見れば興味深いですよね。あれだけ志を持った人がたくさんいたのに、多くの人は認識が足りず、行動が足りず、酒癖で失敗したり、争いに巻き込まれたり・・歴史に名を残したり、成功した人はわずか。この時代について私は詳しくないので、どなたか教訓で書いて下さればと思います。)

 

ということで。まだ間に合います、発車間際の摂理の列車に、船に同乗する人はいませんか?世間では禁止の駆け込み乗車もOKです。必要なものは、ただ主への愛。嵐もあれど、一緒に新時代を見届けましょう。

また、メンバーの人は・・・この列車に乗っている幸運と責任、そして過ぎた日々への言い尽くせぬ心情をかみ締めましょう。

 

ということで、最後は摂理らしくB面のこの歌でしめくくります。



(やっぱしアニメかいっ!?)

カテゴリ:摂理って? | 19:02 | - | - | -
争いやめて祈ろうよ
 

イースターですね。入学や新しく社会人になる人の季節。でも暗い顔をした若者が多い。

日本社会の「常識」、すなわち「若者は何も考えず大学に行き、良い会社に就職し、平穏無事に暮らせばいいんだよ」ということが嘘である、不条理に目をつぶった自分の幸せだけを求める行為だということに気付いています。

 

原発はじめ、政治・経済などの不正や欺瞞が明らかになるのは良いけれど、それに対する怒りや憎悪はとどまることを知らず、ネットには乱暴な言葉が溢れています。「憎しみが憎しみを生み、争いが繰り返され、混乱は頂点を極める」とはそのままです。外国のように実際に血が流れる内戦状態でないだけマシかも知れませんが、どこか殺伐とした雰囲気です。

 

世界のグローバル化は際限なく、アメリカの富豪による石油への投資如何で、アジアのガソリンスタンドの店員さんがクビになったりとか、「大風吹けば桶屋がもうかる」状態です。皆、世界は一つになりつつある?いや、むしろこの社会は一体どこに行くのかとため息の人も多いのではないでしょうか。

 

世界の2%の人々が世界の富の半分を所有していると聞きます、実際そのような企業や人々がいるようです。確かに日本はアメリカの支配下にあるし、経済面ではその人たちが世界を動かしているのでしょう。しかもその裏には○○系資本の世界支配の意図があるとか、現実とも噂ともつかない話まで流布しています。

 

それはともかく、私達は創造主なる神様を信じる立場です。確かにこの世の実権を握っている人々もいるのでしょうが、地球から出られない人間など、宇宙をも統治する神様からすれば笑止千万。むしろ神様はこの世の全て明らかにして裁いたり、株券や資産を紙切れにしてしまうこともできるのでしょうが、すると世界経済政治はむしろ混乱して貧しい人が苦労する。そんな葛藤で悩まれているのかも知れません。

 

また、私達信仰者は、霊的には悪魔がこの世界を支配していると意識しています。限られた金持ちがこの世をコントロールしているように、すなわち悪魔がこの世を牛耳っていることです。この世は平和に見えたりするけど、ネルソン・マンデラさんやアウンサンスーチーさん、原発の小出助教授しかり、社会の裏を見抜いて正しい主張をすると、たいがい理不尽な仕打ちを受ける。そんな偽りの正義で成り立っている社会なのです。

 

しかし、逆に言えば、悪魔に対して、神様もこの世界を治めておられる。そのような目に見えない、霊的な世界での神様と悪魔との攻防があるのです。ただ残念なことは、神様は悪魔より絶大な力があるのに、人間が神様より悪魔を選んでしまうこと。だから神様側の立場の人はいつも社会では少数派。実力で世の中を変えることはできません。

 

しかし、ここぞという時には、神様は強力に働き、神様の人をとうして世の中を動かしてきました。イエス様も社会的には無力でしたが(否、社会の力を頼らず)、その身を犠牲にして悪魔を撃退しました。イエス様以後二千年で世界に福音が広がったこと、これこそが霊的な勝利の証です。

 

うちの先生も何か間違ったことを主張しましたか?若者に希望を与えたのではないですか?虐げられた人のために祈りませんでしたか?今は使徒パウロのように、獄中でひたすら祈りと執筆の生活。しかしその行いは世の人が認めずとも神様が認めていますから、この世のどんな富豪よりも世界を動かす可能性があるのです。

 

たしかに社会正義や行動は必要ですが、「罪を憎んで人を憎まず」、むしろ私たちは祈りたい。神様がこの世に愛想を尽かしてしまわないように。悪魔がこの世に限れば優位ということは、すなわちこの社会に生きる私達が罪に染まっていること。今日、ゴミ箱に捨てられていたチョコレートは、アフリカの貧しい少年が学校も行けずに収穫したカカオから作られたものだったかも知れない。だから自分の罪を、また罪が何か知らない人のためにも悔い改め、神様の心をつなぎとめる。そんな祈りを優先したいのです。

 

「真理はあなたがたを自由にする」。いろんな虚構に気付きつつある(神様が明らかにしつつある)この社会ですが、だからこそ互いを傷つけ憎しみで終わるのでなく、人々の罪も自分の罪のように許しを願う。指摘するのでなく共に間違いを悔い改める。でなければ新しい時代はやってきません。神様の前では人間、誰もどんぐりの背比べ。高潔だとか罪深いとか、大差はないのですから。

私達摂理人には辛いことですが、どうして神様が摂理の先生に監獄という環境を与えたのか。そのような祈りの場が必要だったからだと言うしかありません。

 

今は卒業は過ぎて入学の時期ですが、再度この歌を思いながら・・・みなさんが神様を知り、真にこの世から自由になることを願います。

カテゴリ:信仰について | 21:17 | - | - | -
某事件
 事件と言ってよいのか・・・こないだの話題に関して、宗教学者の島田さんが良いこと書いています。
ヤフーの記事にも上がっていたので、目にされた方も多いでしょうが、ここでも紹介しておきます。


島田さんという方、オウム真理教が目立ち出した時は、オウムを擁護するような発言をしまして・・・結果オウムがサリン事件の犯人とわかり、島田さんもかなりパッシングを受けました。

オウム(いや、麻原彰晃)の本質を見抜けなかったのは確かに落ち度だったかも知れませんが、宗教を偏見で見ない、現代科学などで切り捨てない姿勢は、山折哲雄さんなどと共通してリベラルだと思うのですが・・・。
宗教に何か希望を感じつつも、時代に翻弄される姿は、悩める宗教学者、とも言えるのでしょうか。オウムでなく創造主なる神様、救い主であるイエス様を中心にして下さるように願う次第です。


カテゴリ:一般社会 | 19:52 | - | - | -
世迷い事?
 

うちの会社の食堂では、昼間は皆ワイドショーを見ているのだが(・・・。) 最近の話題は、ある芸能人が占い師に陶酔してから生活が破綻し、今は音信不通にまでなっているとかの話。

(ただ、まだワイドショーで取り上げている過程なので、この事件の真相はわからない。また、この段階での番組内容を前提として今回の記事を書くことをご了承下願いたい。)

 

番組では、この芸能人は占い師にマインドコントロールされているらしい、ということでいわゆるカルト問題の専門家さんが下記のようなコメントしていた。

 

「彼女(芸能人)を支配しているのは、依存と恐怖心です。そうなると日々の生活が乱れて上手く行かなくなっても、自分が足りないのだと思い、さらにのめり込むのです。」

「占い師は神のお告げとか言っています。しなさい、ではなくした方がよい、という表現により、自分で意思決定したという意識を持たせる巧妙な方法です。」

「回復には裁判など、現実を見せることです。自分がどれだけ周囲に迷惑を掛けてきたのとか、実感してもらうことが大事です。」

 

なるほど、専門家さんの意見は正しい。確かに世の中には巧妙な心理操作や宗教で人を支配してしまう悪人が存在する。

 

しかし、今回の事件で私が言いたいこと。

 

1.  こういう番組は誤解を招く

番組を見ていると、まるで神様のお告げや宗教が全て怪しく人を洗脳するような扱いである。世間には良い会社もあれば悪い会社もあるように、宗教も良し悪しある。放送のどこかで「被害者は不幸にも悪い占い師にめぐり合ってしまった」などの表現があれば良いが、番組を見ていると「どうせ占いや宗教はロクでもないに違いない」という意識がミエミエなのである。

 

2.  霊的な無知である

番組はさも心理学など持ち出して、この事件が悪意ある怪しい事件であるように取り上げているが、信仰者からすれば何でもない。占い師も被害者も霊的無知ゆえに、悪い霊にたぶらかされただけの話である(もちろん霊的要因なしに芸能人を騙した可能性もある、その場合は相当な詐欺か人格障害に思える)。

 

占い師は確かに声が聞こえるのかも知れない。それが神でなく雑霊であること位わからなかったのか(聞こえれば何でも神秘的ってもんじゃない)。またそうでなくても占い師の普段の素行やハッタリを芸能人は不審に思わなかったのか。占いが当たるとしても、悪い霊はマッチポンプみたいなこともする(人間だってやるのだから)。最初は正しく見えても結末が破滅の場合もある。善でもなく悪でもないどっちつかずの霊もいる(自分の好みだけで判断する)。霊と付き合うなら、良い相手でないと害があることは人間社会と何ら変わらない。

 

専門家の人もいかにも心理的側面で全てわかったように語っているが、信仰者からすれば不遜なことだ。この世が霊の世界と密接な影響を受けて存在していることなどご存知ない。

また、預言や宗教を信じる人が依存や恐怖心だけで行なっているのか。空海さんやマザーテレサはそのような気持ちで事業を成したのだろうか。神の言葉を語るのはインチキなのか。現実と言うけれど、現実に神様からの啓示や預言で死を逃れたり成功した現実が山ほどあるのを知らないのか。申し訳ないが、専門家の方は結果にあれこれコメントは出来ても、実際にこのような霊的要因が係わった事件を予防することは不可能である。

 

ということで、TV局も悪い事象ばかりでなく、宗教や信仰の素晴らしさを取り上げた番組を作成してほしいものである。

 


・・・と偉そうな口調で書きましたが、もうこんなつまらない事件で云々するのはやめましょうよ。もちろん事件の親族の方は心を痛めているし、被害者(占い師も含め?)さんには早く目を醒まして、真っ当な生活に戻ることを願いますよ。でも霊的に見ればあまりに幼い、些細な事件。わかって予防すれば何でもない。

また芸能人の方のプライベートなことなのだから、興味本位でことさら取り上げて晒す必要もないでしょう。そして視聴者の多くは「怪しいねえ、愚かだねえ〜」と言いながら、自分がおみくじを引いたり、原発がエコだと騙されていたこと、一億総玉砕などと叫んでいた日本の過去などを忘れているのです。

 

・・・と、番組をわき目で見ながらため息をついていた私。イエス様の再臨も近いというのに、いつまでこんなレベルに日本はとどまるのか。こうしてまた誰かの天への悔い改めが増えるのです。心ある皆さん、一緒に創造主なる神様に祈って下さい。

 

目には見えないが表裏一体として、この世と切っても切れない霊の世界。永遠の尊い神様。むしろ昔の人の方が意識していたように思えます。でも迷信や妄信に陥った過ちを繰り返さないよう、しっかりと御言葉により真理を掴む。そして万物の神様でもあるから、現代科学とも調和して生きる。それがイエス様の願う、摂理が目指す、これからの時代に必要な価値観なのです。

カテゴリ:一般社会 | 18:33 | - | - | -
130億光年の神様
 

いつだったかな、谷川俊太郎さんの「20億光年の孤独」という詩を習った覚えがあります。しかし神様は20億光年の孤独どころか、はるかなる130億年からの愛を持って接して下さっています。

 

宇宙はどうなっているのか。天国がどこにあるのか(それは摂理に来て学べるヒミツです)。

丁度、「文芸ジャンキーパラダイス」というサイトに、宇宙の旅「The Known Universe」という動画が紹介されていました。


アメリカ自然史博物館作だそうで、

『・・・現世から遊離したような、神さま目線の浮遊感覚を味わった・・・さらに離れると宇宙が扇状に見える。ホントは球形だけどまだ未観測部分があるため扇状に表示されている・・・』

だそうです。

 

イエス様もあのように銀河を旅して地球に来られるのでしょうか?でも霊は違う次元を通って来るのでまた違うかも知れませんが。

 

ちなみに、ビッグバン以来宇宙は膨張しているのが現在の定説ですが、何の力によってそうなっているのか、現代最大の謎だそうです(解けたら100%ノーベル賞!)。宇宙の星々を合わせてもそんなエネルギーは存在しないし、だから見えない力ということで「ダークエネルギーがあるのでは?」と想定されています。私達からすれば神様の力かな!?(でも科学はそんな単純ではないと反論されそうですね)。

 まあ、とにかく今年は東京で金環食が見られるとか、いろいろ天体ショーの多い年だそうですよ。天にもしるし、ということろでしょうか。

 
地球万物人間は神様の作品

宇宙は神様でアフレテイル

しかし、人間は宇宙には住めません。眺めて楽しむものです。地球に住むのが人間の法則です。
死んで天国に行くことも同じく人間の法則なのですが、困ったことに天国の素晴らしさを知らないし、神様を誤解する人がいたりする。

「俺は俺の意思で生きる。神様の世話なんぞならん。天国なんて興味ない」と言うのは、「人間は自由だ。俺は宇宙に住みたい」と法則ハズレなことを言っているようなものなんですよ。

天国以外の霊界は神様にとっては残念な世界。ぜひ最高に準備した理想の環境に来て欲しいと神様は願っているのです。そうでなくてもお正月には懐かしい親元に帰るでしょ?そんな感覚で天国目指して下さいな。


では、また次回。半年程お休みしていましたが、さりげなく再開しております。信仰者のマイナス点(?)として、神様の世界に浸るとこの世のものに興味が持てなくなることでしょうか(笑)。でも時々帰ってきて好き勝手語りますので、あしからず。ではでは。

カテゴリ:信仰について | 19:37 | - | - | -
6月の雨
 

梅雨の待った只中です。

さて、この春に摂理と新しい出会いをした皆さん、今は聖書の勉強も進み、摂理と先生の正しさ知り、めでたく信仰の道を歩み始めた方々も多いのではないでしょうか。


しかし、やっぱりいるんですよね。摂理を悪い団体だと誤解して、離れてしまう人が。残念ながら、世間ではまだまだ摂理への偏見が解けているわけではありません(この「ぶどう園」のブログを見ていること自体、摂理を知ろうとしてたどり着いた結果かも知れません。)


そういうわけで、少しでも誤解を解こうと、少し前に新しい学生の皆さんへ〜摂理とカルト〜」という記事を書いたのですが

でもどこかの偉い教授さんや、牧師さんから「そこは摂理に違いない。洗脳されてしまう。こうこうして接触を取れないようにして」と吹き込まれたり、名の知れた評論家が「そこは統一教会の分派だ。心理学を利用し、組織の中に入れて客観的判断を奪う」などともっともらしいことをおっしゃると、「確かにそのとおりだ」と信じてしまうわけです。


そうなると、せっかく「そうか、聖書はこう解くんだ、世間のキリスト教より良く分かる」とイエス様のことを信じかけていたことや、楽しいメンバーとの思い出も全部吹き飛んでしまいます。その話が理屈として正しいかどうか、筋が通っているかは関係なくなってしまって、ただ「ああ、騙されていたんだ」と失望や虚無感、怒りに捕らわれることになります。


そして、過去摂理にいたという「被害者」の方から証言などを聞いてしまうと、もう効果てき面ですね。「自分も一緒に摂理をやっけよう」と使命感まで芽生えてくる。信仰そのものまで否定し、自由に生きるのが人間だ、などと「世間一般並」の人生が当たり前と思うようになってしまいます。

(今の世間一般の人々、社会が健全でしょうかね??世の中を、自分自身を良くするヒントが聖書にあると思うから学び始めたのではないですか?)


まあ、確かにこれらの教授さんや弁護士さんは、いろいろ正しいこともして、困った人を助け、世の中に貢献されています。だからと言って摂理に対しての認識が正しい、とは限らんでしょう。「聖書の話も統一教会と類似している」などと言いますが、これらの人が実際に摂理に確認しに来たとは聞いたことがありません。彼らの情報源は摂理を出た人の話だけです。


まして、摂理の先生が罪を犯したと言いますが、そこまで言うのなら、今の刑務所で先生がどう生活しているのか確認してみたらどうすか?
1週間でも側で付き添ってみて下さいよ(もちろん先生の邪魔はしないでね)。

人を罪人と断定するのなら、それ位して然りではないですか?学者さんなら物事を客観的に研究されるべき方々なのに、こういうことでは人の証言を鵜呑みにされるのでしょうか。双方の主張を正しく吟味してから、判断して欲しいですよね。このまま「摂理に近寄るな」と触れ回って、あとで先生が冤罪とわかったらどうします?「想定外でした」などと言うのですか?


何度も書きますが、(不幸にして)摂理を離れた人はいます、でも摂理に反対している人はごく少数の限られた人です。多くの人は「よくわかんないけど、メンバーの人はいい人だったし、楽しい日々だったな。まあ、朝早いのと日曜遊べないのはしんどかったけど。まわりの人が脱会しろと言うからそうしたけど、本当にヤバイ所だったのかな?」という程度の認識ですよ。

いや、反対する人は「摂理は良い面もある」、「メンバーは悪くないけど、先生だけが問題だ」と常識的な立場を装う巧妙な言い方をします。そして摂理そのものや教理の是非についてはあえて触れません。とにかく「私は被害に遭った、離れろ」と主張するのです。

とまあ、感情のまま書いてしまいましたが、摂理に疑いを持ちながらこれを呼んでいる君は「悪くない」ですよ。そのような誤解したままの認識を吹き込んでしまう、宗教に偏見のある世の中が問題なのです。

信仰の世界ですから、多少のトラブルや離別が生じるのは、仕方ないかも知れません。でも冷静に考えてほしい。今までここで過ごしてきた日々は意味がありませんでしたか?学んだ聖書の話は無理がありますか?御言葉は役立ちませんでしたか?世の中では誰も教えてくれなかった本当のイエス様を、ここでハッキリ信じられるようになって来ていたのではないですか?


長く摂理を走ったのに離れてしまった人もそうです、私たちが何か組織的に犯罪を計画しましたか?人間関係で悩みはあったかも知れないけど、個性的で真摯な人たちではなかったですか。祈れば神様の恵みはありませんでしたか?芸術やスポーツで情熱的に過ごしたのではないですか?世間のキリスト教並の献金はあるけど、何十万円持って来いとか強制されましたか?私たちはあなた方が嬉々として過ごしていた日々のことを覚えていますよ。


イエス様でさえ、世間の偉いさんたちから非難されました。つまり、その位に信仰の世界を正しく見極めるのは難しいことなのです。摂理を非難する有識者の皆さんも、世間で有益な働きをされているのですから、私たちもあえて喧嘩をしたいとは思っていません。

ただ一方的な偏見と誤解で、「そうに違いない」と断罪するのはフェアじゃない。御自身がそう思うだけならともかく、他のイエス様を知ろうとしている人たちの前途まで遮断することは止めて欲しいのです。それでは正義の名の元に中東問題に介入する某大国と変わらないではないですか。それとも、その有識者の皆さんは、イエス様よりも知恵があり偉いのでしょうか。


ということで。もし疑問が生じたら、率直にメンバーの人とお話して下さいね。誰の話が正しいか分からなくなったら、イエス様に祈ってみてください(これは摂理だけでなく世界共通の方法)。

あなたの人生の大切な分岐点なのですから。いろんな試みを乗り越えて、真の信仰に至りますことを願っています。



関係ないけど、2013年のNHK大河ドラマは、同志社大学を創立した新島襄の奥さんが主人公。つまりクリスチャンなわけですが・・・そう、世界中、どこに行ってもイエス様と無縁な世界はありません。後で学ぼうとしても不思議と機会は来ませんよ。是非今のチャンスを逃さず学び続けるべし!

カテゴリ:摂理って? | 00:05 | - | - | -
God help!
 

政局が不安定ですねえ。混迷の時には政治も荒れるというのはお約束みたいなものですが・・。しかし、今回の震災で、隠されていた欺瞞があぶりだされること、このうえない。知れば知るほどため息です。

 

たとえば原発関係。この辺はニュースなどで皆さんもよくご存知でしょうが・・・政府や学者が無責任に安全だと話したり(チェルブイリ以上の放射能濃度の地域がある)、電気は何とか賄えているのに原発停止により電力が足りないと計画停電させたり(原発不要論を封じるため)。

 

原発は電力会社にとって儲かるんですよね。国からも補助金出るし。その利権にさまざまな人が恩恵に預かる訳ですが、産学官など広範囲の業界に莫大なお金が流れています。
 

先日もテレビで原発の是非を問う討論番組があったそうですが、実は既に原発擁護の内容にしようと決められた出来レースだったとか。

そこに出演していた、原発の宣伝にも出て「人生勝ち組」を標榜していた経済評論家などは「チェルノブイリは確かに
小児の甲状腺癌が増えたけど、それ以外の病気は顕著に見えてきません」などと、とんでも発言をしたそうな。

 

さすがに後で謝罪したらしいですが、今もがん治療で苦しんでいる人たちが聞いたらどう思うのか・・・それぞれ人は立場もあれば、失言もするだろうし、また私自身、原発の是非については神様から直接聞いたことは無いので、何でもかんでも悪い、とは言いません。しかし、少なくとも今は原発に関して慎重に考える時でしょう。

 

そんな状況なのに、この方以外にも政治家、学者さん、芸能人など知識人の皆さんの発言を聞くにつけ、「人間って、ここまで物事が見えなくなるのかなあ」と思った次第なのです。

 

さて。こんなことを書いていても、何ら楽しくない。別に人の揚げ足取りをしたい訳ではありません。「黒が白になる」ような事象は世の中に溢れており、また、世のパパさんたちは不条理を飲み込みながら生活のために仕事をしている人がほとんどです。

 

こんな汚れた社会には愛想をつかして、田舎で農業でもしながら暮らしたい、と思う人も多いとは思いますが、それが可能な人は限られてるし、たとえば優良な有機野菜を作っても、買ってくれる余裕のある人は、それこそ東電?などの裕福層の人たち。この社会で生きている以上、そのしがらみから逃れることはできません。

 

だから私たち信仰者は「この世は神様のつくった世界だけど、今は悪魔に奪われている」と言うのです。ノアの洪水の裁きの話などをすると、「当時の何が悪かったのか」と反感を持つ人も多いのですが、古今東西、人間の本質は変わっていません。今のような状況を見れば何が罪か悟ってもらえるのではないでしょうか。

 

実際に悪事を企む人は少数です。でも私たち一人一人がこのような社会の闇を「まあ仕方ないや」、「自分には関係ないから」と見過ごしていたのです。神様の視点を持たないことで、知らないうちに悪魔の側に組み込まれ、心が、人間らしさが失われて、気が付けば住み辛い社会になっていたりします。

 

世の中の問題に気付いた人の中には、NGOなどボランティア活動もして、少しでも問題を解決しようと貢献されている方もいます。それはそれで神様が支援している場合もあります、でも神様を意識しない社会運動や正義がどういう結末になるかは、歴史が証明しています。霊魂に根ざした人間性を持たない活動は・・・最初は志はあっても、そのうち人間関係や利害がもつれて分裂するしかないのです。

 

だから信仰者は社会運動に傾倒したり、また徒党を組んで世の中を変えよう、とはしません。御心があれば行動する時もありますが、あくまで宗教の目的は「救い」です。個人が変化してこそ、社会も変わっていく。遠回りに見えても、地道でも、それが確実な方法です。

 

もちろん信仰者は霊魂の救いだけでなく、社会の理不尽なことも神様に訴えていますよ。うちの先生も世の中のヤクザや搾取など社会問題、また虐げられている人が助かるように、具体的に祈っているそうです。

 

皆さんも感づいているでしょう。これからの難局を乗り越えるには、良い世界になるには、政治や経済ではなく、一人一人の人間が変わっていくことが必要だと。

「そんなこと言ったって、ちっぽけな自分に何ができるんだ」、「わかっちゃいるけど、どうすればいいかはわからない」、そんな葛藤の中でもがいている人がほとんどなはずです。

 
イエス様は言われます、
「あなたたちは一つの体で各肢体と同じではないか。あなたたちはつながっている。」
「あなただけが生きようとするな。あなたとわたしたちは一つだ。」

こういう社会の矛盾や不正も問題でしょうが、それ以上に人間が創造主である神様を忘れて、奢りや混迷の中で生きていることが一番の問題ではないでしょうか。

そう、私たちがすべきこと。それは全能なる創造主の神様、そしてイエス様との関係を回復することです。そうすれば、
道徳教育をしたり、法律で国旗を強要するようなことをせずとも、人間の理想、真の日本人の良心を取り戻せるはずです。


イエス様の元にいれば、社会の誰かを恨んだり、無力感に囚われたり、罪悪感の中で生きることもありません。今もこの世の中でもがき、「飼う者のない羊のように」人生の葛藤の中でさまよう皆さんを待っているイエス様です。残り時間がわずかです、早く神様の懐に戻られますように願っています。



(すいません、日本版は見つけられなかったので、歌詞の訳はこちらで。)
カテゴリ:一般社会 | 00:56 | - | - | -
新しい学生の皆さんへ 〜摂理とカルト〜 その2
 

ひとつ訴えておきたいのは、たとえばこの震災での原発問題も・・・かつては政治家や学者さんたちは「大丈夫だ」とアピールし、逆に原発の問題を指摘する人たちの意見が世間に流れることは稀でした。ただ「原発は問題ない」というイメージだけが一人歩きしていたのです。

 

(いや、皆も薄々気付いていたかも知れない・・どこかおかしいと・・・しかし自分に関係ないから、今のままで益があるから、と無視したままでした。そしてこの震災です。)

 

摂理もそのように、自分から調べない限り、うちの先生の正しさを耳にする機会は、日本ではほとんどありません。かつての報道で「摂理はカルトだ」という情報だけが一方的に固定化されたままなのです。

 

皆さんにとってはどうでも良い事かも知れない。しかし冤罪だったらどうしますか?先生は刑を受けて現実に生きています。独房の中、ひたすら祈り、文章を書いています。作業などをすれば模範囚として減刑もありますが「時代が変わる、時間がない。今必要なことをしなければならない」と神様の仕事に全力投球です。

 

刑務所の職員や同じ受刑者など、先生を見て、接している人はたくさんいます、先生の態度を見ていればどんな人かわかるでしょう。でもそういう人の話を知る機会もないのです。

 

「それでもボクはやってない」という映画を見てみるのも良いかも知れませんね。古いけどメル・ギブソンの「顔のない天使」もオススメかな。冤罪を覆すのはとっても困難なことだと理解して下さい。

 

今度の地震でも、皆さんが信頼して寄りかかっていた会社や学者さんたちにも、知らない、対応できない事がたくさんある、と悟ったのではないでしょうか。

 

摂理ではありませんが、私が大学に入学した時、学生へのオリエンテーションで「変な宗教があって、無理矢理結婚させられて外国に連れて行かれるらしい」と教授が話していました。

今はその某宗教のこともよく知っています、確かに問題はあるかも知れません。しかし本人の意思を無視して結婚とか、北朝鮮のように拉致監禁とはあんまりです。大学の先生でも、専門外については疎いのです。

 

そのような偏った情報で判断するのはやめましょう、ということです。

世間には「偏見」「誤解」、皆の知らない「真実」は山ほどあります。また、簡単に善悪で割り切ってしまえるような事ばかりではないのです。

「民族と宗教とは争うな」ということわざがあります、つまり「勝てない」ということです。軽薄な正義をもっておせっかいをしようとする事ほど当事者に迷惑なことはありません。

 

そして最後にひとつ。幸運にもあなたが摂理に出会って、「ここは真実なのか?先生は正しい人なのか?」と悩むのなら、是非神様に祈って下さい。世間の神仏ではなく、天地を創造した、本当の唯一の神様がおられますから、その神様に尋ねてみて下さい。必ず答えがあると思います。

そして摂理の、先生の正しさを見出し、今の時代を生きる術と希望を得てくださいますように願っています。


(ウォルミョンドン 先生が自分の故郷を自然の教会として整備しました。一般の皆さんも訪れることができます。)

あと、こちらもご覧下されば幸いです(リンク)。

カテゴリ:摂理って? | 22:24 | - | - | -
新しい学生の皆さんへ 〜摂理とカルト〜 その1
 

5月も半ばになりつつあります、新しく学校に入学された学生の皆さん、勉強や生活の方はいかがでしょうか。

 

皆さんの中には、学校で「カルト宗教の勧誘があって、マインドコントロールなどされ人生が狂ったりする人もいるから気をつけなさい」、などと耳にした人もいるかもしれません。何やら世間では私たち「摂理」もカルト宗教の一派だと見ているようです。

 

確かに、かつて世間を騒がせた宗教があったように、実際に社会問題を起こす団体も無くはないです。宗教でなくても、学生から一儲けしてやろうとか、そういう悪い大人も実際にはいますから、そういう意味では気をつけないといけないとは思います。

  
(サークル勧誘でにぎわう大学) 

しかし、困ったことは、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というように、似て非なるものを見分けられず、正しいものを見失ってしまうことではないでしょうか(過去記事)。必要なことは真実を見分けられる自分をつくることだと思うのです。

 

さて、「摂理」とは何であるか?キリスト教の教会です。時代に沿った新しい教会です。

うちの鄭明析牧師・・・自分たちはその人を「先生」と呼んでいますが、その人がキリスト教の矛盾の中でもがく中、今の時代に合う新しい聖書のメッセージを受け、またイエス様のように実践して見せることで多くの人々が集まるようになったことです。

 

たとえば、一般のキリスト教では「亡くなった人が生き返る」とか「地球が裁かれて滅亡する」とかの話があります。そのため、社会一般の価値観と合わなかったり、また若い信徒は「非科学的だ」と敬遠することもあったりします。

 

しかしそれらは、比喩で書かれた聖書を誤解していたのでした。うちの先生は科学者も信仰者も納得できるように筋の通った聖書の教えを説き、神様・イエス様の愛により、人間が価値を取り戻して「今の時代を生きる」大切さを示してくれました。

 

こう書くと、アンチ摂理の人たちには、「また勝手なことを言って、摂理を正当化しようとしている」などと思う人もいるでしょう。

 

では、なぜ反対する人、「被害に遭った」という人がいるの?と思うでしょう。それは摂理も多くのいろんな人が集まる場だから、不幸にも挫折する人も出てしまうのです。

 
世間の会社でも、人間関係がこじれて裁判沙汰になったり、不倫などトラブルが生じたりすることもあるでしょう。

熱心だった人も疲れると「魔がさして」ダークサイド?に堕ちることもあるのです(聖書にもそういう話は山ほどあります)。


まして宗教は心の問題を扱いますからナイーブな面がたくさんあります。歴史を見れば摂理以外でもジャンヌ・ダルクや日蓮さんなど、濡れ衣話には事欠きません。

 

困るのは、そういう人たちはかつての「同じ釜の飯を食った仲間」だということ。だからこちらも争いたくはないし、かといって無視もできないし・・・。

 

もちろん、摂理も発展段階ですので、人間関係などのトラブルが無かった訳ではありません。しかし誰も好んでそうなる訳ではない。だから「不幸」なわけですが・・彼らが嬉々として神様のことを語っていた頃のことを知っていますから、私たちも辛いことです。

 

また彼らの狙い、非難しているのは鄭先生だけ。先述した聖書の解き明かしなどが正しいかどうかについてはまず触れません。皆さんも私たちの話を聞く機会があれば、まっとうな話だとすぐに理解できるでしょう(続)。

カテゴリ:摂理って? | 22:02 | - | - | -
ひと波過ぎて
 

震災から1ヶ月も過ぎました。

改めて亡くなった方のご冥福を祈り、被災された方にはお見舞い申し上げます。

 

この1ヶ月にいろんな事態の変化があった・・・。

特に原発については(まだ予断を許さないけど)最悪の事態は免れたことには感謝。

もちろん、そこには原子院や電力会社の「偉いさん」たちの不手際を補う、現場の方々の尽力があったからだけど。

 

さて。書きたいことは数々あるけど、圧倒的現実の前に、自分のような稚拙な言葉は意味を成しそうにない。でもひとつ記しておきたい。

 

いろんな反応の中、宮崎駿監督が地震へのコメント(リンク)があった。

残念なことに、私たちの文明はこの試練に耐えられない。これからどんな文明を作っていくのか、模索を始めなければならない」と語っていたとか。

 

普通、地震の時に問題になる「文明」と言えば、産業や経済面など、生活に身近な事だろうけど、この発言では、もうちょっと精神論的な意味での言葉だと思う。

 

そう言えば、宮崎監督は過去に「風の谷のナウシカ」で、登場人物に「音楽と詩など・・・それ以外に次の世に伝える価値あるものを人間は造れなかったのだ」などと言わせていた。

 

津波が全てさらっていってしまった現実を考えると、今自分が生きている物質世界の全てが虚しくなってしまい、うつろに過ごしていた人も多いのではないか。

 

人間は動物と変わらない単なる元素の集合体、偶然に生まれ、食い飲み恋愛して、幸不幸の人生を送り、老いれば死んでいく。巨大隕石でも落ちれば地球の歴史はジ・エンド・・・それでは、この地震も自然災害として仕方なかったとあきらめるしか無いのだろうか。

 

そうじゃない。本当の神様の願いを知れば、この地球で生きることは無意味ではない。神様をよく知らない、虚無感を生む現代の「私たちの文明」が限界に来ていることだ。科学や物質も大事だけど、それのみを世の中の基準にすると人間の存在を軽んじたり、自分を見失ってしまったりしかねない。

 

また、ある津波の被災者が「毎年海をお祀りしてきたのに、どうしてこんなことに」と嘆いておられたそうだ。ネットでは震災に対し「思想や宗教ではこの現実を解決できない」というコメントもあった。

 

それらの考えは自然との共生は生むかも知れない。高台で津波を避けるなどの知恵は得るかも知れない。「万物を支配せよ」などと自然破壊したかつてのキリスト教よりはマシかも知れない。

 

でも、素朴な信仰心は尊重したいけれど、八百万の神々を信じ、自然を拝する、というのはプレゼントだけを喜んで、それをくれた人を知らないのと同じではないだろうか。そのような過去の思想や宗教では乗り越えられない、ということだ。

 

そして今回、多くの方が命を落としたけれど・・・

どんなに信仰を持っていたって死は受け入れ難い。「波になって」流され死んだ母親に会いたいという保育園児、74人が死亡・行方不明の石巻の小学校・・・こんな有様には泣いて過ごすしかない。

 

あの世や霊魂があるから、死を乗り越えられる、とは言わない。祈れば地震が来ないとか、命が助かるとかではない。


ただ・・・イエス様が残してくれた教えがある。今のキリスト教では十分伝えられているとは言えないけれど・・・でもその本質をしっかり知るなら・・・どうしようもない現実に救いの道を見出せる可能性があるかもしれない・・・とだけ記しておきます。

 

それこそが、今の日本に必要な新しい文明、価値観だと思う。

思えば、今回は死者・不明者が3万人近いけど、日本では毎年それ位の人を自殺で失っていたのだ。神戸の時のように、もう一度命の価値を見直し、新しく社会を変えていくこと。それも亡くなった方への報いになるはずだ。

 最後に。

世間でも、まだ被災者の皆さんの生活も戻らない状態で、あれこれ言うべきではないと言う意見も多くあります。宮崎監督の話にも「戯れ事を言うな」という批判もあるそうですから、私なんぞの言葉など尚更でしょう。

 

しかし摂理でも、当然ながら被災したメンバーや、家を失ったそのご家族の方がいます。また地震からメンバー有志が、朝3時から日本の今後のために祈り続けています。

 

聖書ではエレミヤに代表されるように、信仰者は時代を憂いて祈り、虐げられながらも艱難から民を救うためにメッセージを発し、そして民と共に運命を共にします。決して傍観的立場で話しているのではない、と覚えて頂けたら幸いです。

カテゴリ:信仰について | 23:20 | - | - | -
| 1/15PAGES | >>